玉ネギの巣窟

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ポプテピピックとはなんだったのか 〜考察と問題提起〜

我々は何を見ていたのだろうか。

 

と言うことで先日最終回が放送されたポプテピピックについて、簡単に記したいと思います。ブログの放置状態の改善目的というのもありますが、これ僕個人で考察しきるのは不可能なのでは?そもそも僕の手には負えないのでは?という思いを吐き出さずにはいられなかったために書かせていただきます。僕が囚われてしまった愚かしい妄想を吐き出させてくれ。

 

まあそれはさておいて、まずはアニメ(?)「ポプテピピック」全体をみた個人的な感想をば。

今作、Amazonプライムで見れるものは割合サボりがちな僕の割には律儀に毎週毎週見ていました。

個人の総評としては、「アニメの皮を被ったナニカ」であり、「アニメ評論のルール外」であると考えます。

1話時点で巷で言われた「アニメ評価におけるエクストラウィン」という評価は全く正しかったと思いますが、12話をすべて見終わった後改めて考えると、これはもうそんな生温いものでは無いな、と。

実写パート当たり前、世界観は尻尾すら掴ませず、サンドアートやフェルト人形、ドット絵などを無造作に、脈絡もなく叩きつけるストロングスタイルは、もう初手エクゾディアとかそんなレベルではないでしょう。遊戯王やろうぜー!!って声をかけたら「わかった、じゃあ10秒数えるから隠れてね?」って返してきたようなもんです。その上数分後には突然ブレイクダンスを始め、と思ったらヨーヨーでスパイダーベイビーをキメてきます。なんかまあそんな感じです。自分でも何言ってるか分かりませんが、とにかく既存のアニメ評論という尺度で考えていい範疇を超えてます。

そしてその上でもっともタチが悪いことに、ポプテピピックは全ての遊びが抜群に上手い。個々の技術ももちろんですが、その魅せ方楽しませ方が非常に上手い。

サンドアートもフェルトもドットも、もちろん通常パートの作画も各声優陣も、完璧な仕事をしてのけています。

音楽もパロディパートでは絶対違う曲なのにそれっぽく聞こえる見事としか言いようがない曲を流し、オリジナル曲もオリジナル曲でその折々で雰囲気にマッチした音楽を仕上げいます。

そして何より特筆すべきは全体の構成と間のとり方。脈絡がないことに対してとても誠実です。前振りとか話の流れとか言ったものを完璧に無視しきっている。同じような展開を前後編二連続でやる、という声優が変わったところで下手すると飽きてしまうような構成、少なくとも脈絡なさが死にかねない構成である今作ですが、しかし大筋は変えずに絶妙に変化を出すことで前半で出せていた脈絡なさを後半でも同様に発揮します。

また、特に原作を忠実にアニメ化している部分では顕著ですが、とても間のとり方が上手い。「先に大人になったら〜」の下りとか完璧としか言いようがない。動きの早さ、語りの早さ、どれをとっても絶妙。全ての挙動が恐ろしく丁寧です。隙がまるでねえ。クソ要素が「脈絡のなさ」「意味不明さ」しかなく、それ以外があまりに完璧すぎる。

 

......まあメッタメタに褒めちぎりましたけども、本質的に滅茶苦茶な作品であるということは忘れてはいけないとも思います。本作のおもしろさが分からない、という人が多いというのはなんらおかしな話ではなく、むしろ当然です。迂闊に人に勧めていい作品ではない。楽しめないなら楽しめないで仕方ないし、楽しめる側は押し付けてはいけない。まあ今作に限った話ではないですけど。

 

まあまとめますと、「クソっていうかただただ滅茶苦茶」に尽きるのではないかなと。しつこいですがあくまで個人の感想です。

 

 

さて、作品自体の評価、というのはこんなところでいいでしょう。今回の本題に入ります。

 

僕が観測し始めたのは第8話前後でしょうか。「ポプテピピック考察班」がTwitter界隈に出現しました。この無茶苦茶な作品に対し考察とは?とはじめは冗談半分で見ていたのですが、これが妙に説得力がある。その上最終話を経て、その考察班の予想が本当に当たっていた可能性が持ち上がっている現状です。

そんなモノを見てしまうと妙にトンデモ考察大好きオタクとしては乗っからないわけには行きません。過去「艦これ世界において人造の存在はむしろ深海棲艦側である」だの「ガルパン世界は技術的に到達点に至った戦争後の住人であり、砲弾にあたっても死なない」だの冷静になって考えると何言ってんだ俺レベルのトンデモ考察を繰り返してきた僕です、今回もしっかり観て自分なりの考察を打ち立てようと試みました。結果あまりにもあまりにもな仮説が出来上がってしまったんですが。陰謀論じみている。

 

今回の僕の考察はあくまで仮説です。とことんまで考察をしきったわけでもないです。しかしこれを自分1人で詰めることは不可能だと考えます。ですのであくまで仮説段階として、問題提起のような形で書かせていただければと思います。

 

仮説の概要に入る前に、まず現状主流と思わしき考察について考えます。そう、ループ世界論です。

ポプテピピックのおいて前半後半はほぼ同一の内容が描かれており、また「再放送」の記述、ピピ美の言動などなどから推測された、「この作品はピピ美がポプ子を救うあるいはKレコードを打倒する目的でループしている話では?」という考察です。厳密な解説は別の方に任せたいと思います。

僕はこの推論はかなり怪しいと考えます。主な理由は単純、誰がループの中心人物であっても説明のつかない変化が多すぎること。

代表例は声優の変化です。ループしているとして、何故声優が変化するのか全く説明がつかない。

他にもなんの干渉もなくセリフが変わるポプ子ピピ美以外の登場人物が多数いることも疑問です。特に最終回は顕著でしょう。Kレコードの面々は前半と後半、特になんの影響を受けたわけでもないのにセリフが変化しています。ポプ子ピピ美がループの中心だったとして、彼女らが彼らのセリフに関与する機会及び方法はなく、またする理由がありません。仮にKレコード側がループの中心であったとした場合、何故か彼らは自分達を倒す側の身を案じてループさせたことになります。そもそもセリフを変える意図が分かりません(バタフライエフェクト狙いならともかく)。

最大の根拠たる蒼井翔太による過去に戻る発言ですが、白くなったピピ美を担いで過去に帰ってもどうしようもないのでは?という疑問が残ります。ピピ美の蘇生手段なくね?

 

まとめると、ループ説は「干渉できない、する意味のない事象に対し変化が多すぎる」という課題があると考えます。細かな変化であれば設定ミスで済みますが、声優変更やセリフ変更はあからさまであり意図的なものです。意図的なものが裏設定と矛盾、というのはいささか考えにくい。

 

しかしループ説は説得力の高い証拠もいくつか並んでおり、考え方の根幹として間違っていないような気がします。なのでループ説の問題を解決しうる仮説を立てましょう。

ループしているにしては世界が変わりすぎているというのなら、世界そのものを乗り換えてしまえばいい。そう、平行世界への移動です。

今作はループしているのではない、「Kレコードを倒せる世界線を探して何者かが世界線ガチャを行っていた」という仮説です。

はじめにこの仮説を立てた際、これで声優の変化も説明できる、他セリフの変化など世界の変化も問題なくクリアできると思いました。

しかしこれはこれで説明がつかない事が多い。というかこの場合、ループ説の根拠となる部分が大いに邪魔をします。

まず世界線ジャンプなのに再放送はおかしくね?一応似たような世界を再び流しているから再放送でもおかしくない......というのはいささかこじつけのような。

最終回、蒼井翔太と共に過去へ遡ったポプ子がどこに行ったのか説明がつかない。世界線ジャンプをしている場合は最終回前半の内容のみで完結しているはずだが、白くなったピピ美を担いでいるポプ子はどこにも観測できない。そもそも過去に戻るという発言が噛み合わなくなる。

というわけで、この可能性も無視できない問題を抱えています。

 

というわけで立てた仮説が2つとも反証を抱えてしまい、どうしたものかと考えたんですが、どうにもしっくり来るものがない。

仮説を立てるに充分なものはあるものの、全体を見た場合に反証がどこかにある、という現象が繰り返されます。というか法則性が必ず何処かで外されます。分かりやすい例は声優。若手→ベテランのパターンはその基準が曖昧にしろ常に成立しているとは言いがたく、女性コンビ→男性コンビのパターンは2~12話で成立していますが1話で外しています。

 

ここまでで必要な情報は語りました。

最終的な仮説を述べましょう。

「本作は意図的に考察出来るように作られた無意味な羅列である」。

......考察するという考え方に対して喧嘩を売っているというのは自覚しています。だから石を投げないで。

いや考えれば考えるほどわざとらしすぎるんですよ今作。意味深な演出やセリフ、展開を複数出しておきながら、それを元に考えると反証がどこかしらに存在する。これはもはや意図的なのではないか、とすら思えます。

そしてポプテピピックにおいて、それが意図的に行うことについて理由づけが可能です。作品考察って割とサブカル的文化ですよね。

ポプテピピックにおいて、ポプ子やピピ美はサブカル女子を殺したがってますよね。

いやまあそれだけなんですけど。

 

まとめてしまうと

声優の順番という、かなりどうでもいいような法則性まで例外を作っている本作は、考察という楽しみ方まで含めて、徹底的にサブカルに対するアンチ作品としてリリースされたのではないか、というのが僕の仮説です。

結論としない理由はあくまで僕が考察、検討しうる範囲は狭いために実は僕の気づいていない法則がある、という可能性は大いにあるためです。

というか一応仮の法則性として

・前半より後半の方が情報が増える

・ポプ子からピピ美へ攻撃は行われない

・2人は仲良し

は成立していると思われます(要検証)。

ですのであくまで一つの仮説とし、この作品について考察する際の一つの要素として考えていただければと思います。

 

 

以上が僕の考察でした。

なんかもう考えすぎて変な方向にいってしまったというか、お前それ結局考察途中で投げてんじゃねえかとか、いやはや全くその通りではあるんですけど。

こんな妄想に囚われてしまった、ということだけ吐き出したかったのです。馬鹿なやつがいたもんだと笑ってください。

 

最後に、今記事にもっともふさわしいと思われる言葉を書いて、この阿呆ない記事を締めくくらさせていただきます。

 

脚本の人そこまで考えてないと思うよ。